【中山律子】死去84歳|さわやか律子さんの経歴と300点の偉業

女子プロボウラーの先駆けで、「さわやか律子さん」の愛称でお茶の間に親しまれた中山律子さんが、2026年11月7日に84歳で死去しました。日本プロボウリング協会(JPBA)が公式サイトで発表し、各メディアが伝えています。

この記事では、報道とJPBAのプロフィールで確認できた範囲で、中山さんの歩みを年表と主な出来事で振り返ります。死因や葬儀の詳細は、現時点で報じられている内容に限って書きます。

結論(2026年11月7日時点)
・中山律子さんは2026年11月7日に84歳で死去しました。JPBAが公式サイトで発表しています。
・1969年に女子プロの第1期生としてプロ入り(免許No.2)。1970年8月21日に女子初の公式戦パーフェクト(300点)を達成しました。
・1971年のテレビCMで「さわやか律子さん」が大ヒット。2004年から8年間、JPBAの会長も務めました。
・死因は報じられておらず、葬儀の日程などは「現在確認中」とされています。

公開日: 2026年11月7日 / 最終更新日: 2026年11月7日。続報はJPBA公式サイトで確認できます。

中山律子さんが2026年11月7日に84歳で死去した発表の要点と、1969年プロ入り・1970年パーフェクトの実績
図表: 当サイト作成(出典: 日本プロボウリング協会の発表、スポーツ報知、オリコン)




目次

  • 1. 訃報の内容
  • 2. 中山律子さんの歩み 年表
  • 3. 1970年 女子初のパーフェクト
  • 4. 「人気の中山、実力の須田」
  • 5. 「さわやか律子さん」とお茶の間の人気
  • 6. 協会の会長として
  • 7. 数字で見る実績
  • 8. 向かない読み方・注意
  • 9. まとめ




1. 訃報の内容

中山さんは2026年11月7日に亡くなりました。84歳でした。JPBAが公式サイトで訃報を公表し、スポーツ報知やオリコンなどが同日に伝えています。

死因・経緯
報道では、死因や最期の様子は伝えられていません。病気療養中だったという報道はありますが、病名は公表されていません。
葬儀
葬儀・告別式の日程などは「現在確認中」とされています。最新の案内はJPBAの公式サイトで確認してください。

訃報の一次情報はJPBA公式サイトです。弔問や献花などについては、必ず協会からの案内を確認してください。

2. 中山律子さんの歩み 年表

中山律子さんの年表 1942年生まれ、1969年プロ入り、1970年パーフェクト、2004年JPBA会長、2017年殿堂入り
図表: 当サイト作成(出典: JPBAのプロフィール、スポーツ報知)

中山さんは1942年10月12日、群馬県の草津町に生まれました。7人きょうだいの5番目で、3歳のときに鹿児島へ移り、高校時代はバレーボールで全国大会(インターハイ)や国体に出場したと、スポーツ報知が伝えています。1967年に上京しました。

1969年 プロ入り
6月に第1回の女子プロテストに合格。JPBAのプロフィールでは、女子プロ第1期生・免許No.2です。9月には女子プロ誕生記念大会で優勝しました。
1970年 初代チャンピオン
全日本プロ選手権で優勝し、初代の女王となりました。同じ年の8月21日に、女子初の公式戦パーフェクトを達成しています。
1971年 テレビCM
CMの「さわやか律子さん」が大ヒットし、愛称として広く知られるようになりました。
1998年〜2018年 協会の要職
1998年に日本女子プロボウリング協会(JLBC)会長、2004年にJPBA会長に就任。2012年に会長を退いて名誉会長となり、2017年にJPBA名誉会長を退任しました。2018年にはJLBC会長も退き、名誉会長に就きました。

3. 1970年 女子初のパーフェクト

中山律子さんが1970年8月21日に府中スターレーンで達成した女子初の公式戦パーフェクト300点の概要
図表: 当サイト作成(出典: スポーツ報知)

もっとも有名な出来事が、1970年8月21日の女子初の公式戦パーフェクトゲーム(300点)です。会場は東京都府中市の府中スターレーン。8月の女子プロ月例競技会の決勝で、海野房枝さんと対戦して12投連続ストライクを決めました。

スポーツ報知によると、会場へ向かうタクシーが軽い事故に遭ったそうです。中山さんは後年、そのことでかえって気持ちが落ち着き、力みが取れたと振り返っています。




4. 「人気の中山、実力の須田」

女子プロボウラー中山律子さんと須田開代子さん「人気の中山、実力の須田」の関係
図表: 当サイト作成(出典: スポーツ報知、JPBAのプロフィール)

同じ時代に活躍したのが、免許No.1の須田開代子さんです。2人は「人気の中山、実力の須田」と並び称されました。須田さんは1995年に57歳で亡くなっています。中山さんは1998年にJLBCの会長となり、協会の運営でも先頭に立ちました。

5. 「さわやか律子さん」とお茶の間の人気

1971年のテレビCMで広まった「さわやか律子さん」の呼び名は、競技の枠を越えて親しまれました。JPBAのプロフィールでは、NHK紅白歌合戦の審査員も務めたとされています。

病気とも向き合いながらの競技生活でもありました。スポーツ報知は、肩の痛み、1995年の膠原病、リンパ腫などの病気に触れ、それでも現役を続けた姿を伝えています。弟の中山徹さんはプロゴルファーです。

6. 協会の会長として

中山さんは2004年に、JPBAで初めての女性会長に就任しました。任期は4期8年で、2012年に会長を退いて名誉会長となりました。2017年には日本プロボウリング殿堂入りを果たし、同年にJPBA名誉会長も退いています。選手としてだけでなく、競技団体を率いた存在でもありました。

7. 数字で見る実績

中山律子さんの実績 公式戦33勝、生涯アベレージ197.11、公式戦パーフェクト2回、JPBA会長、殿堂入り
図表: 当サイト作成(出典: スポーツ報知、JPBAのプロフィール)

報道によると、公式戦の優勝は33勝、生涯のアベレージは197.11、公式戦のパーフェクトは2回です。1970年のパーフェクトが女子初でした。

8. 向かない読み方・注意

向かない人・注意
この記事は報道とJPBAのプロフィールにもとづく年表で、詳細な競技記録の一覧ではありません。個々の大会の成績や、2回目のパーフェクトの日時などは、確認できなかった点は書いていません。正確な記録は、JPBAの公式資料で確認してください。
葬儀・弔問について
日程は現在確認中です。SNSなどで出回る日程は、協会の発表ではない場合があります。JPBA公式サイトの案内をご確認ください。




9. まとめ

・2026年11月7日、中山律子さんが84歳で死去。JPBAが公式サイトで発表しました。
・1969年に女子プロ第1期生(免許No.2)としてプロ入り。1970年8月21日に女子初の公式戦パーフェクトを達成しました。
・「さわやか律子さん」のCMで人気を集め、2004年から8年間JPBA会長、2017年に殿堂入りしました。
・死因は報じられておらず、葬儀の日程は現在確認中です。

近ごろ伝えられた訃報としては、ちばてつやさんの死去や仲木隆司さんの訃報の記事もあります。

参考・出典

本記事は2026年11月7日時点の報道にもとづく内容です。最新の情報は公式でご確認ください。

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